本丸より (15)

<Scent of Rain>

「僕は6月のニューヨークが好きだけど、君はどう?」

これはミュージカル“ブロードウェイ”の中の曲、"How about you?"の一節である。
ニューヨークの6月は前半と後半では印象がガラリと違う。
前半は新緑が眩しく、降る雨の匂いすらアニック・グタールの香水のように感じるけれど、後半になると、あんなに初々しかった木々の緑はもうすっかりいつもの深い緑に育ち、まるで100年も200年も前からそこにいるような顔をする。

金曜日にタクシーに乗った。
「92丁目からFDRを南に下って、サウスストリートまで行って」
私は、そう運転手に告げてから、自分の言った言葉をもう一度頭の中でくり返した。

FDRの流れはスムーズで、窓から見える景色のひとつひとつが、何かの記憶と重なる。
92丁目にあるASPCA。ここにはディノを毎年、予防注射に連れて来ていた。
FDRのトンネルはまるでモナコのトンネルのように、ビルの下を通る。
クイーンズボロウブリッジは私の好きな橋のひとつで、その姿は堂々として美しい。その橋が間近になると右手にはAnimal Medical Centerのビルが見える。
あの窓のある3階の部屋で、ディノは息をひきとった。それはとても寒い2月だった。
国連ビルを過ぎて間もなくすれば、ぽかんと開いた空間から、エンパイアステートビルが見える。
FDRは緩やかに左に右にとカーブを描き、ウィリアムズバーグブリッジが近付く。そして、その向こうにはマンハッタンブリッジが続く。どの橋にも、星条旗が揺れている。

タクシーを降りてピアの石畳を歩いた。
そこからまた、タクシーに乗った。

タクシーは北に向かうFDRに入る。
私は振り向いて、ブルックリンブリッジとピアの向こうにいつも見えていた景色を探した。
何度見ても、もう貿易センタービルは建っていない。
これからニューヨークに起こることを誰が想像できるだろう。

タクシーの中にはフランク・ザッパの曲が流れていた。
運転手はご機嫌で、私も一緒に笑っているかどうかバックミラーで確認する。

「ザッパだよ、ザッパ」

そう言って、私に語りかける。

ブッシュ大統領が事実上、CIAにフセイン大領領の暗殺を指示した、これからのニューヨークは今まで覚えているニューヨークとは違ってしまうかもしれない。そう、友人と話をした直後だった。

ノースバウンドのFDRは41丁目あたりから渋滞になり、タクシーはドライブを降りて、ファーストアベニューを北に走った。アベニューはそれほどの渋滞はなく、ストリートに入った途端に車の速度は極端に遅くなった。49丁目を西に向かってやっと、フィフスアベニューにさしかかった。 「手前の角かい?向こうの角かい?」運転手はまだザッパの歌にご機嫌なまま聞く。

「ここでいいよ。ちょうどライトで止まったし」。

私はサックスの北側入り口前でタクシーを降りた。

サックスに入ろうとすると、男性がドアを開けて先に通してくれる。
これはあまりにも日常的なことで、女性はただ「ありがとう」の一言と、笑顔をお礼にする。
ニューヨークにはほとんど自動ドアがない。
それは、男性がいるからかもしれない。

私は遠くからこの町に帰ってくるのが好き。

How about you?

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